忠誠の菊池一族掲示板

過去ログ43 2019/9/21 15:35

▼初代菊池の末裔
岡山
初代菊池の末裔
管理人さんすいません昔の系図は読めない部分が結構あるので情報を手伝うことはあまりできませんね。島津のことや清正のことも書いてあるみたいですが、20代前後の自分は系図の継承しました。たまたま管理人さんのサイトを見つけて書いてみましたが、それにしても管理人さんあのホームページかなんかすごいですね。それに似たの作れるかやってみますね。井芹一族の、いろんなことが書いてありますがいつもチラ見なので。菊池ホテルや菊池神社や熊本城にもいったんですが、自分は何回いったかはいえませんね。10代後半のとき井芹に養子がきたのを見ましたよ。おばあさんの親戚なんか知らないけど。
2019/9/21 15:35

▼初代菊池の末裔
岡山
初代菊池の末裔
アメリカに親戚が移り住んでそこも系図を持っています。その人の息子はハーバードの医学博士になりました。たぶんもう死んでると思いますけど。日本の家系図の継承者は自分だけです。養子源吾と書いてあるのも気になりました。西郷隆盛のことですかね。返事お待ちしております。管理人さんからの。役に立てたかなと。無駄な情報だったらすいませんね。アメリカと日本に1つと聞いています。西郷さんとも縁があるのか知らないけど。自分は熊本1〜3回いったような。
2019/9/20 21:08

▼初代菊池の末裔
岡山
初代菊池の末裔
初代菊池則隆、二代経隆、三代経頼、この六男菊池六郎経益が熊本の
井芹川の流域を占める井芹の庄を領有して、井芹六郎経益と称したのがはじまりで、この人が井芹の祖である。井芹氏は井芹の庄内、今の本妙寺の東南に中尾丸城を築いて数代居城していたことは史実の示す通りである。と書いてあります。菊池が井芹に名前を変えたみたいです。おばあさんはまだ生きてますよ。井芹氏の系図を持つのは自分のとこだけといってます。
2019/9/20 21:03

▼初代菊池の末裔
岡山
天孫降臨について
このこと知ってたらすいません。ニニギノミコトとニギハヤヒが恐らくなんですけど天孫降臨かなと。2つの天孫降臨。アマテラスとスサノオの系統みたいです。確信はないけど。秦氏(はだうじ)秦(しん)始皇帝ってのも噂では。ツクヨミの系統の天孫降臨はないのかと思い調べてましたがわからないです。神武天皇の父系統は日向族みたいですね。
2019/9/16 20:06

▼初代菊池の末裔
岡山
菊池一族について。謝罪
小柳さんはじめまして小柳さんの文章を見て感動しました。菊池一族のことを深く思ってくれてるみたいでそれいいたかったんですよね。あと管理人さん家系図に卜部氏(うらべし)ツクヨミの系統。物部氏はスサノオですね。天皇家はアマテラスですけど。ブラインドタッチできるのですぐ調べることはできます。すいません。変なことを書いてしまって。家系図を見直しました。少し。チラ見しかしてなかったので。三貴神。(さんきし)その上にイザナギとイザナミ。自分も歳なのでもう30代きちゃいました。最初書いたときは20代後半くらいでした。かなり調べまくっていましたいろんなことを。おばあさんのお母さんが井芹だったのですいません。本当のことをいうと名前は井芹ではありません。ほんとすいませんね。このことを伝えようかどうか迷ってました。莫大なデータがあるんですけど本にも卜部氏と書いてあったのでそれはたしかだと思います。l
2019/9/16 19:07

▼小柳
熊本
Re:管理人さん
菊池様、お元気されてて嬉しい限りです、
それと菊池様と私の見解大いに違うと思いますけど、読んで頂きありがたく思います。今日も東福寺に行ってまいりました、私は菊池一族ではありませんけど、人生において菊池一族と知り合えた事大いに力を貰えた事感謝してます、また、武重公の御子孫であられる菊池様にネットでも知り合えて嬉しいです。話変わりますけど、いまは、菊池一族のファン増えているそうですよ。ネットで若い女性に刀剣乱舞で、同田貫がなかなか人気ありこの同田貫こそ、十代武房が京都山城国から来一族を菊池に招いたのが始まりです。また、今月19日から熊本県立美術館で大々的に(菊池一族の戦いと信仰)が始まります。もっともっと菊池一族の事皆に知って貰いたいですね!
2019/7/13 0:23

▼管理人
茨城
詳しくて驚きました
小柳様、いつも菊池家の歴史を、詳細にご教示いただき恐縮です。
当方は、無職の身となり以前より忙しく、畑や蜜蜂の世話に日々の大半を浪費しています。
浪費と言っても、時間の浪費ですから心配ありませんが、我が家の歴史を、さらに究明することができません。
小柳様の理路整然とした解説は、その私の勉強不足を多いに補ってくれます。これからも、ご投稿を楽しみにしています。
ありがとうございます。
2019/7/12 22:27

▼小柳
熊本
Re:小柳さん
Re:続きです、
ただ、武重公の墓は少し離れた田んぼの中にあったので破壊は免れました。また、すぐ下の弟四郎(系図では九郎)武敏は14代武士の時、13代武重が亡くなって間もなく早々と豊後院内へ、一族郎党と共に移住しましたのでそこに墓が残ってます。武士は出家して諸国を遍歴し、最後は八代の二見に墓があります。
2019/7/12 14:09

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