休齋
忘れじの日
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【忘れじの日に想うに詠める】
馳せて尚
持ちて余せる
一人とて
倶に馳するる
人ぞ有りける
はせてなほ
もちてあませる
ひとりとて
ともにはするる
ひとそありける
。休齋
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【馳せて心倶(とも)に】
私は世界の中の数十億分の一の存在です。
その様に非力な私も心と魂の辛さに立ち向かう方々、重くて立ち向かえる力がどうしても起こせない方々
色々な在り方の魂が持つ心を必死に察する努力は出来ます
正しく察する事が出来なくても察する努力は出来ます。そしてすぶきであると
あの悪夢の如き災い。悪夢であれば夢から覚めれば。しかし悪夢ではなく、悪夢の如く そう如くな現実でした
東日本に住む私は、受けた被害は根元の地の方々に比べたら小さすぎて見えない程の微々たるものでした
それでも、遠隔地の方々よりは少しだけわかります
あの日、命以外の全てを流された友達もいました
私は数十億分の一の小さく非力な存在です
一人で神の如く何かを為せるべくもなく
ただ魂の内なる御心を察するに務め思いを倶(とも)に馳せることしか出来ない小さな存在です
でも、もし一億一千万分の一の小さな存在が一億一千万の数があつまり心倶(とも)に在る事が出来たら
一個人の思いからは想像も出来ない大きな科学変化の様な光が生まれるかもしれません。
一人であって独りに在らず
皆がそれを意識した時きっと
。筆 平成29年3月10日金曜日
休齋朝臣源
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