1 桐原
死神
俺の伯父は若い頃東京でタクシー運転手をしてたんだけど、ある日新宿で1人の客を乗せた。筋骨たくましいけど小柄な男で、声がやたらと大きかったそうだ。
「運ちゃん、俺ん家まで行って」
乗るなりいきなりそう言う。初対面の相手の家なんかわかるはずがない。
「お客さんの家って言われてもねえ」
曖昧に返事すると、客は
「なんだ運ちゃん、俺ん家知らないのかい?」
心底意外そうに言い、ガハハハッと豪快に笑った。それからは丁寧に帰り道を教えてくれたそうだ。男の家は白亜の洋館といった風情の、豪華なものだった。
「どうだ、悪趣味な家だろう?」
男はまたガハハハッと笑い、多すぎるくらいのタクシー代を伯父に握らせると
「運ちゃん、頑張れよ」
と言い残して家の中に消えた。
数日後、伯父が大衆食堂で昼飯をかき込んでいると、店のテレビが臨時ニュースを告げた。あの男が、どこかの建物のバルコニーに立ち、白手袋を履いた拳を振り上げて、何かを叫んでいた。あのガハハハッと快活に笑う男と同じ人間の顔とは思えなかった。
死相が、みてとれた。
と、伯父は後述した。
しかし伯父が驚いたのは、それだけではなかった。報道のカメラに映されたその男の後ろに、男と全く同じ顔をした、もう一人の誰かがいた。ただ、そいつはおしろいを塗りたくったように真っ白な顔で、そして口の中が真っ赤だった。その口は、男が叫ぶ口と全く同じ動きをしていたのだという。
報道のレポーターや、今このテレビを見ている食堂の客は、それに気付いていないようだった。
昭和45年11月25日、正午。
三島由紀夫割腹自決。
東京市ヶ谷の自衛隊駐屯地に総監を人質にとって立てこもり、総監室のバルコニーから、自衛隊の国軍化を要求する演説を行うも、聞き入れられず、その後総監室に戻ると、持参した短刀で割腹し、共に乗り込んだ森田必勝の介錯で首を落とされた。
伯父は数年前に癌で他界したが、死期が迫った頃から妙な事を口走り始めた。
「痛みにうなされて目覚めると、病室の隅にあいつがいるんだよ。真っ白で、口が真っ赤で。でも、俺の顔なんだ」
「運ちゃん、俺ん家まで行って」
乗るなりいきなりそう言う。初対面の相手の家なんかわかるはずがない。
「お客さんの家って言われてもねえ」
曖昧に返事すると、客は
「なんだ運ちゃん、俺ん家知らないのかい?」
心底意外そうに言い、ガハハハッと豪快に笑った。それからは丁寧に帰り道を教えてくれたそうだ。男の家は白亜の洋館といった風情の、豪華なものだった。
「どうだ、悪趣味な家だろう?」
男はまたガハハハッと笑い、多すぎるくらいのタクシー代を伯父に握らせると
「運ちゃん、頑張れよ」
と言い残して家の中に消えた。
数日後、伯父が大衆食堂で昼飯をかき込んでいると、店のテレビが臨時ニュースを告げた。あの男が、どこかの建物のバルコニーに立ち、白手袋を履いた拳を振り上げて、何かを叫んでいた。あのガハハハッと快活に笑う男と同じ人間の顔とは思えなかった。
死相が、みてとれた。
と、伯父は後述した。
しかし伯父が驚いたのは、それだけではなかった。報道のカメラに映されたその男の後ろに、男と全く同じ顔をした、もう一人の誰かがいた。ただ、そいつはおしろいを塗りたくったように真っ白な顔で、そして口の中が真っ赤だった。その口は、男が叫ぶ口と全く同じ動きをしていたのだという。
報道のレポーターや、今このテレビを見ている食堂の客は、それに気付いていないようだった。
昭和45年11月25日、正午。
三島由紀夫割腹自決。
東京市ヶ谷の自衛隊駐屯地に総監を人質にとって立てこもり、総監室のバルコニーから、自衛隊の国軍化を要求する演説を行うも、聞き入れられず、その後総監室に戻ると、持参した短刀で割腹し、共に乗り込んだ森田必勝の介錯で首を落とされた。
伯父は数年前に癌で他界したが、死期が迫った頃から妙な事を口走り始めた。
「痛みにうなされて目覚めると、病室の隅にあいつがいるんだよ。真っ白で、口が真っ赤で。でも、俺の顔なんだ」
(N703iD/FOMA)