78 ×引く1
76>議論も遊び

そろそろ、飽きたから今回は趣向を変えてみたよ。

発達度>

打ち切りのカードゲームの多さから発達を見込む事は難しい。
しかし、名目上は「プロ」でもプロ化されたカードゲームはあるから、ギャンブル性を削って、強いスポンサーが付けば職業として成り立つかも知れない。

将棋>

遊びか仕事かどうかは「精神」の方向性と「環境」によって判断されると思う。

将棋に限っての例だが、「プロ志向」でプロに成り得る「資格」があるのなら「遊び」でも「仕事」えも無いと判断される。

次に「プロ志向」でプロに成り得ない「資格」なら「遊び」と表記すべきか。
ある域まで達すれば「研究家」や「道楽」と呼ぶのもあり得るか。

さらに、「プロ」であり仕事を「遊び」と介して望んでいる人に対しては環境上「仕事」と表記すべきかな。

確定された世界>

コンピュータに極意はあり得ると思う。
人間においての極意は有り得ない。
既に「完全無敗」の人間がいない事が証明だと思う。
チェス世界チャンピオンにコンピュータが勝ったが、極意を得られたという訳ではない。

レベル>

人間が人間の「実力」を決めるに当たっては、「ギャンブル性の無い勝負」「多数決」によって決められる。
前者なら、「学力試験」「スポーツ」等が挙げられる。
後者なら「政治」

スコアが不安定なギャンブルにおいては、「実力」の判定が難しい。
仮定として実力を定める事は出来ても、スコア上で定義付ける事は難しい。

俺が主張したいのは、人間が真の「実力」を決める挑戦するにあたり、どちらが難しいかという事が高レベルに行き着くかと考える。

だから、複雑な解を見出す事がレベルが高いとは思わない。しかもカードゲームにおいては正解が不明。

メタゲームの理論は帰納的に解いた時に、理論として脆さを兼ね備える事が「多い」この「多さ」というのがギャンブル性。実力とは言い難い。

デッキコンセプトも「ダーク」というコンセプトがあったとして、何処までが「ダーク」で何処までが「ダーク」じゃないのかも結局は人文の範囲。