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1 mop

特別企画 終戦記念日

え〜続き


>あてんく
民族性てのがある 大雑把だが こう言われている


中国…末代まで根絶やし 何代前のカタキであろうと子孫が仇をうつ

ある意味 そのまんま 彼ら的には間違っていないはずだ


ちょい 日本 中国 朝鮮の歴史的背景を入れる


およそ二千年前に 中国の魏に ヤマタイ国より使者がいき
日本は中国の属国となった記録がある


中国側から言わせると この契約は正式には破棄されていない

まだ 中国の儒教思想は 家族を重んじている

この場合 中国→父 朝鮮→兄 日本→末っ子になる

つまり 末っ子が歴史的に親 兄弟に 背いている(蒙古来襲 秀吉の朝鮮侵略 日清戦争 ) これは大罪である
(W31S/au)
100 はひカン
今日はここまでの流れを総括し
自分なりの暴論(意見)を吐きます。

田中真紀子が外務大臣を務めていた頃、次々と外務省員の不正を摘発・告発して、並みの省庁と同じような待遇に変えようとしていました。

俺なんかは「もっとやれ!」と思ってみていましたが「外交が滞る」との理由により真紀子大臣は罷免されてしまいました。
外務省の仕事って何だ?国家の仕事って何だ?。一言でいえば国民の権益・財産を守ることではないのか?。外務省は、外交員はその責務を果たしているといえるのか?。

なぜ日本は世界に冠たる経済力を持ちながら、国連への供出金もアメリカを遥かに抜いて世界一ながら、どうして国際政治の舞台でこのように舐められっぱなしなのか?。
日本の国民性がリーダーシップを取るに向いていないということもあるかもしれないがそれにしてもひど過ぎると思う。
外務省員は責務を全うしないで特別待遇のみを貪ろうとするのであるなら、それはたまったものではないのでせめて不正くらいはやめさせてくれというのが俺の意見でした。

敗戦後60年、この間 日本は小競り合いすらなく ましてや戦争というものもなく平和主義を貫いたことはもっと賞賛されていい。それなりの文明国としては稀なことである。
ここへ来て日本の外交は転換点を迎えつつある。捉えようによっては国力相応の、国際協力に貢献している相当の扱いをして欲しいと言っているに過ぎない。敗戦後の自虐主義から普通になろうとしているだけなのかもしれない。

しかしながら敗戦後たまたま日本が成功してしまったことをやっかむ勢力があります。その言い分は「お前らは前の戦争で我々に多大なる迷惑をかけたのだから卑屈に身を屈めておけばいいのだ」と言っているように聞こえます。
それが韓国・中国です。
そのことを言われるのはそれが一番最近の両国との激しい折衝が無条件降伏(日中戦争〜太平洋戦争)だったので仕方がありませんが歴史的に見て元国(中国)が攻めてきたりさまざまな小競り合いはこれまでもあったのです。そのことをこのようにあーやこーや言われて内政干渉し続けられるのはたまったもんではありません。中国なんかはここ近年 経済的にも力をつけてきたのでますますやっかいになるでしょう。そうでなくても非常に外交に長けた国です。外交三流国の日本としては誘い・挑発にはのらず粘り強く自国の立場・主張を続けるのが一番かもしれません。
それか思い切って中国の傘下に入るのも手です。宗主国として持ち上げてる限りは(持ち上げるに値する力がある限りは)、中国は歴史的に見て非常にいい国です。

外交の転換期を迎えるにあたってこれだけは覚えておかなければならないのは、他の多くの国もそうですが われわれ日本人は国力が横溢(充満)してくると外征をしようとする傾向にあることです。
(PC)
99 はひカン
終戦記念日が近づいてきました。

今日もざっくり書いておきますね。

同じ儒教圏でも違いはありますね。
イスラム圏でもイランとイラクが仲が良くないように。

儒教圏でもタイ(シャム)やマレーシア(マラッカ)やタタール(モンゴル)ありますがそれぞれに歴史があります。


日本にも歴史があります。日本は聖徳太子の時代に中華(当時は隋)に対し「平等だ」という主旨の手紙を送って大いに失笑をかいましたが概ね奈良時代・平安時代までは中華の優秀な模倣者でした。

しかし貴族の守衛に過ぎなかった武士が政権を執る鎌倉時代になってからは独特の歴史を歩むようになります。

儒教の遵法者であり中華思想の優等生であったお隣りの朝鮮からすると「せっかく有難い教えを伝えてやっているのに何をやっているんだ」といったところでしょうか。

この点を日本の側から一言で斬ると「朝鮮半島は中華からの文化の通り道に過ぎない」ということになります。

やがて自己肥大妄想狂にかかった晩年の豊臣秀吉が、やや揺らぎかけた明に成り代わり中華に
なってやろうと無益な殺生(とも言い切れない面もあるが)を始めます。普通に失敗。でも確かにこの時 当時の最新兵器であった火縄銃の生産力では世界一だったといわれています。兵隊はたくさんいたし外征に必要なだけの船舶・食料もちゃんと計算して用意できたといわれています。それにしても明はまだまだ健在で、大陸を攻め切るほどの兵力・国力は日本になかったということでしょう。

江戸時代の鎖国政策を経て開国・維新を迎え帝政ロシアの脅威を退けます。

またそこからタガが外れ冷静な計算を度外視した妄想の時代がはじまります。大東亜共栄圏(中華に代わる思想)を唱え、日中戦争(対中華民国)〜太平洋戦争・第二次世界大戦(対米・英・仏・中などの連合国)へとちょっと国力を比較すれば誰がみても分かるような勝てるはずのない戦争へと突入していきます。

これで日本は「もうダメだ」とか「あるべき姿(極東のいち島国)に戻った」とか「今後しばらく(百年とかの単位で)国際舞台にでてくることはないだろう」とかいわれました。

結果はいまの通りです。
(PC)
97 まき
うるさいなー
す〜ぐ外交やらなんやら
そりゃ内政干渉されてる点では外交問題だが

靖国それ自体は日本の問題だろーが

谷垣と加藤め

と昼ニュースを見てて思いました
(F901iC/FOMA)
96 はひカン
ここからは日本人の日本人的事情による手前勝手の意見になりますが、
ロシアのいう南にはとうぜん日本も入ってきます、が モンゴルを下り満州を下り万里の長城あたりまで下ってきた帝政ロシアがまず目をつけるのは朝鮮半島です。その先にあるのは日本列島です。朝鮮半島が帝政ロシアに降ってしまえば釜山から日本領である対馬・福岡へは目と鼻の先です。
ここはひとつ朝鮮に頑張ってもらわなければなりません。それは朝鮮にも文明開化を起こさせ強露(帝政ロシア)が迫ってきても跳ねつけるだけの富国強兵を養ってもらうことでした。まだ帝政ロシアが朝鮮半島に迫ってくるまでに10年くらいの猶予はあるだろうという時期でした。日本は朝鮮に、開国し文明開化するべきだという親書を朝鮮側が疎ましく思うようになっても無邪気に送り続けましたが、朝鮮にはついに革命家は育たず革命も起きず仕舞いでした。焦った日本は強引ともいえる政治介入をし朝鮮経営に乗り出すことを決意しました。朝鮮国内は(正確には李氏朝鮮は)二つの政論に別れました、日本につこうとする側と中国(当時は清)につこうとする側です。日本としては清に朝鮮を守る能力はなく(強露の魔の手から朝鮮を守る力が清にあれば日本はわざわざ朝鮮に乗り出さずに済んだのです)、さらには朝鮮を巡って清と戦争をするような事態になっても清に勝つであろうというのは想定の範囲内でした。かくして戦争になり日本は勝ちました(日清戦争)。
しかし日本の目的は清から朝鮮を奪うことではなく、強露から日本を守る、そのために地理的に日本より先に強露の魔の手に落ちるであろう朝鮮に防波堤になってもらおうということだったのです。
もう一度いうと東洋の宗主国=中華としての清にはロシアや欧米列強から東アジアを守る力は既になかったのです。産業革命に完全に乗り遅れたからです。そればかりか香港・マカオ・上海などの沿岸部の自国の国土の一部を植民地として差し出さなければならないほどだったのです。
もっと言うと「眠れる獅子の国」といわれるほど精強と安穏を誇った清が侵食される様子を、戦慄する思いで伝え聞いたのが明治維新の革命戦士たちだったのです。「清のようになってならない」「このままでは三百諸藩などはあっという間に崩壊してしまう」という恐怖の思いが維新の出発点でした。
(PC)
95 はひカン
えー・・この前は「違う」というところまで書きました。

「西洋・欧米・キリスト教圏」と「東洋・東アジア・儒教圏」と「中東・イスラム教圏」が違うと。

これは歴史を持ち出すまでも無くマスコミなどで「アメリカ・イギリスはああ言っているがイスラム国家群ではこう言っている」みたいなことでよく知られていることでしょう。

でも違うのです。

え?何が・・?。

日本は明治維新の前後から欧米化というより産業革命化を始めました。
アジア地域では初です。しかも早い時期に産業革命を導入し成功といえる成果を収めたのはアジアでは日本だけでした。

日本人は国家存立のよりどころを「文明開化」「富国強兵」「脱亜入欧」などの象徴的な言葉で示されるように全面的な技術導入(必要とあらば全面的な思想も導入)で、国家の危機を乗り切ろうとしました。

国家の存立の危機とは、当時の一部のなりたての日本人(あるいは土佐人とか水戸藩士という枠を越えた三百諸藩で一つのまとまり=国であるという意識を持ち始めた人々)にしか緊迫感のあるものとして理解できなかったでしょうが、産業革命の導入を終えた国々に侵略されてしまう(植民地になってしまう)という危機のことです。

まあ たいがいは急激な変革というものは失敗するものですが、我々の先祖の日本人は努力をし運もあったのでしょう 成功しました。
何とか成功のめどが立ちふと周りを見渡してみると北方から虎視眈々とあるいは多少強引に南(日本も含む)に勢力を伸ばそうとしている国がありました。ロシア(露西亜)です。いまのロシアと区別して帝政ロシアと言ったほうがいいですね。当時のロシア(露西亜)が「強露」と呼ばれていたのは強力な陸軍とその軍隊にモノを言わした強引なやり口(ほとんど弱いものいじめ)からです。
帝政ロシア時代もソビエト時代も(もしかしていまもそうかもしれませんが)ロシア民族の南に対する欲望は我々には計りがたいですね、すでに広大な国土を持ちながら寸土でも南の地域を手に入れようとする努力は涙ぐましいほどです、「憧れ」と言ってもいいかもしれません。
(PC)
94 mop
さあ 最大の課題『文化の違い』が お題だ!

この お題を消化するには 核となるのは宗教だ


俺が言いたいのは此処だ


先祖を奉ると言う文化を(靖国) 中国との国交と引き替えにするとして

それは中国の宗教侵略に屈することを意味する

それじゃ ど〜せ今後も負けは見えている

ど〜でもい〜とか言った時点で奴らの熱さに負けてると言うことだ

間違い無く これは戦争だ!

既に始まってんだ 武装しろ
(W31S/au)