4*歳 東京
最初で最後の男性経験
十数年前に職場の上司に誘われて彼の愛車(ワゴン車)で評判のラーメンを深夜に食べに行きました。
店には駐車場がないので近くの公園の駐車場に止めて行きました。
ラーメンを堪能して車に戻る途中に突然の雷雨に遭いフラッシュを炊かれたような稲光と滝の様な豪雨の中、深夜の公園をびしょ濡れになりながら小走りに車まで急いでいました。
しかし突然に彼が立ち止まったかと思うと、いきなり強い力で抱き寄せられて僕の唇を彼の唇が覆い被さってきました。
本当に突然の事で驚きながらも必死で抵抗しましたが彼の力は強く僕をそのまま押し倒しました。
滝のような雨が仰向けになった僕の顔を容赦なく叩きつけ息苦しくなり僕の抵抗する力が緩んだ隙にいつの間にか全ての衣服を剥ぎ取られて全裸にされてしまいました。
顔に叩きつける雨に加えて地面と背中の間に流れる冷たい水のせいで途方もない脱力感に包まれ、彼に身を任せてしまいました。
乳首、性器、アナルと彼は執拗な愛撫を僕に施しました。
雨に濡れ冷えた身体に彼の愛撫の温もりに感じた性感を堪えきれずに嗚咽を漏らしてしまいました。
自ら全裸になった彼は、僕の足を抱え上げてそそり立つ彼のモノがお尻に入れられました。
一瞬痛みを感じましたが彼に抱かれる温もりから安心感を得たのかそれも次第に薄らいでいきました。
彼の腰は僕のお尻を優しく激しく責め立てていました。
彼の腰の動きに合わせたかのような僕の嗚咽は、激しい雨音にかき消されていました。
時折フラッシュのように光る稲光が僕と彼の影を鮮明に映し出していました。
そしてその一瞬の光に照らされた僕の性器は小さく小さく縮んで揺れていました。

その後僕は数日会社を休んだ後に退社しました。
それから普通に結婚もして普通に暮らしていましたが最近になってそんな記憶が蘇ってきました。
何故だろう・・・・?
(PC)
悲しい性
52歳 東京
こんなところで・・・
 それは近くの住宅街にある小さな公園でした。3方をマンション・アパート・1戸建の建物に囲われていて車も通れない人だけが行き来できる道が残りの1方にある長方形の公園。
 真夜中も2時になろうとする時間、私の悲しい性は始まります。上下のジャージを着ただけの恰好で家を出ました。その公園の前に差し掛かると公園のベンチでビールを片手に飲んだくれている60代半ばの、恰幅の良い親父さんがいました。私は最初その親父さんの前を通り過ぎ公園を1周することに。するとその親父さんの目は私の動きを追っていることを感じました。
公園を出て少し時間を置いてもう1度公園に戻った私は公園に灯いている明りの下でわざとジャージのズボンを脱ぎ私のおしりを親父さんの見ている方へ晒しました。私が振り向くと親父さんはじっと私をみているじゃないですか。私は大胆になって上着も脱ぎ裸体を見せつけます。そして、その恰好で公園内にある遊技施設を使って、又を開いて見せ付けて、興奮してました。まさか、その時です親父さんは立ち上がって私の方へ近寄ってきたのです。
 私を抱きかかえるように胸・乳首・袋・竿となでるように両手で触ってきました。まさかこんな普通の住宅街にある公園で、こんな事されるとは思ってもいませんでしたが、しばらくの間、私の体を撫で回していたその親父さんは「服を着たほうがいいよ」と言って帰ってしまいました。
 あれ以来その時間帯になると公園へ行ってみるのですが、あの親父さんは居ません。
(PC)
54歳 長野
身体が欲しがる
私が男を知ったのは、18歳でした。
中学の頃よりSMに興奮して、よくオナニーしていました。でも、女の人に責めてもらう事はかないません。
そんな時、本屋で見た本が「さぶ」でした。
興奮しましたね。。
文通欄でSの方を探して私のアパートで抱かれました。
今でも、責めの快感は身体が忘れません。
今では責めて頂ける方とも出会いがありません。
身体が縄を欲しがります。。。
(PC)
59歳
映画館で
先日、ポルノ映画間で65歳ぐらいの親父に触られたのでそのままでいたら、チンボを出そうとしたので、ビデオを見る個室に行ってあそびました。私がウケと知ると親父もウケだったので、タチの親父を連れてきてくれました。タチ親父のデカマラでバックをたんのうしました。その間、受け親父に尺八され、久しぶりのセックスを楽しみました。3年間通ってましたが、初めての体験でした。
(PC)
K's
45歳 東京
初歩からの息子2
「今日から生まれ変わるんだよ。
私の可愛い息子になっておくれ」
そう言ってパパは、僕の首から下の毛を全て剃ってしまいました。
脇の下も脚も、そしてあそこの毛も全てツルツルにしてしまいました。
歳の差は10歳そこそこですが僕はパパの幼い息子にされてしまったみたいですが更にパパは僕にオムツを穿かせようとしました。
僕はいくら何でも恥ずかしいので拒否しましたが聞き入れてもらえませんでした。
パパに叱られる事もありました。
沢山お尻を叩かれました。
泣きながら「ごめんなさい」を言うとパパは優しく僕を抱いて撫でてくれました。
そして優しくて刺激的なパパのHに幸せを感じていました。

パパの息子になって数ヶ月、パパのお仕事の都合でお別れすることになってしまいました。

既婚者同士だから仕方がないのだけれど・・・

今、子供返りした時の温もりが忘れられずに、とても寂しいです。
(PC)
45歳 東京
初歩からの息子
ネットで知り合ったあの人は僕のパパになってくれました。
パパは56歳で単身赴任の独り暮らしでした。
メールを暫く続けたあと、実際にパパと逢う事になり、軽食をしながらお話しをしてパパの部屋に招かれる事になりました。
極普通に話のなりゆきからパパと関係を結びました。
この歳になって初めての経験で少し怖かったのですがパパは優しく僕を抱いてくれました。
僕は初めて経験したお尻の心地良い疼きの余韻を感じながらパパの胸に寄り添うように甘えてしまいました。
「今日から私の息子だよ」とパパは僕の頭を撫でてくれました。
僕はパパの胸に抱かれて一夜を過ごしました。

そして翌日の朝からパパは僕を息子としての躾を始めました。
(PC)
59歳 熊本
先輩から
今から約40年程前、高校を卒業して関西のある町に就職しました。独身寮完備の快適な環境での生活が始まりました。夏の土曜日の夜。寮の屋上で同期入社の仲間と涼んでいたら、先輩が中に割り込んできたのです。その人は我々より4年先輩で、寮でも結構信頼のある人でした。我々もその先輩には色々と仕事の現場で指導やら手助けをしてもらってて尊敬していました。その先輩が「どうだ今から俺の部屋に来ないか?ビールも冷えてるし」と誘いました。仲間は「有難うございす」と言って先輩の部屋に行ったのです。自分はあまり気乗りがしなかったので「済みませんちょっとやることがあるので失礼します」と断って自分の部屋に戻りました。小1時間程経った頃部屋のドアをノックしてその先輩が入ってきました。「どうしたんですか?」「お前が来ないから詰まらなくて皆を帰した。今からでも俺の部屋に来いよ」と言い、半ば強引に手首を掴まれ先輩の部屋に連れていかれました。「まあ、座れよ」と窓際のベッドに腰掛けさせられて、いきなりビールビンを持たされ強引に口に運ばされ飲み込みました。少し酔いがまわってきた頃「面白い写真を見せようか」と4〜5枚の写真を持ってうつぶせになっている自分の横に腰掛けて見せました。その写真はいわゆるエッチ写真で、男と女の営みの写真でした。それを見て当然のことながら下半身に反応が現れたのです。すかさず「あれ?もしかして勃ってるの?」と言い
、自分の下半身とベッドの間に手を滑り込ませて、仰向けになるように体を反転しました。短パンの股間はテントを張っていました。手で隠しましたが、先輩の方が力が強くあっという間に下着もろとも短パンを脱がされたのです。恥ずかしくて顔を隠したら、「気持良くしてやるからな」と言って手で扱きだしました。「止めてください」と懇願しても言うことを聞くはずがありません。そうするうちに今度は口に咥えて頭を上下に動かし始めたのです。「汚いから止めてください」「お前のは汚くないよ」と言ってとうとう最後までしゃぶったのです。急いで下着と短パンを履き、自分の部屋に戻りベッドに潜り込みました。それからは一晩中自己嫌悪に陥りました。
これが初めての男との体験です。長文で済みません。
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58歳 東京
私の近況。
私が「ゲイ」に目覚めたのは中学3年の時でした。当時は今のようにネットやモバイルも無くて出会いには苦労しました。故にクラス・メートや友人でもチャンスがあれば「手」だししていました。本格的にのめり込んだのは上野の書店で見た「バラ族」でした。その時は既に30歳で、結婚もしてました。それからは何人もの男と出会い、別れの繰り返しでした。でも今は一人の青年に出会い半同棲生活してます。おそらくこれが最後の「出会い」だと思います。彼は実の息子より一回り若いイケメン青年です。なんか自慢話でごめんなさい。不愉快な方はスルーしてください。
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