TEAM-KUNITATI feat 麦わら
過去ログ11
2006/6/6 8:01
▼トシ吉俺の家から500M位離れた場所(東村山市ではなく清瀬市になります)で、民家にダンプカーがつっこみました。ニュースでもやってます。俺の家の前の道は、一日中通行止めです。 名古屋はギャルが多いからな。ドンマイ。北九州は期待できるよ。イモっぽい娘さんが、わんさかいるよ。
6/6(火)8:01
▼ごちお次は今週の金曜から7月半ばまで名古屋行って、7月半ばから8月終わりまで北九州だわ。お盆の休み少ないし、こっち帰れないかもなー。
6/6(火)6:57
▼トシ吉おぉ〜。お帰り。次はいつから、どこに、どの位飛ぶの?
6/3(土)22:45
▼ごちお東京さ戻ってきただ。
2週間まともに電波届くとこいませんでした。う〜む…日本は広い?
6/3(土)11:59
▼トシ吉某資料研究者(独立した研究者を指し、企業の研究職を除く)として生き残っていくのが至難の技であることは歴然たる事実である。強いモチベーションを持ち、才能に恵まれた者が研究者としての生き残りを賭けて不断の努力をし、その上で運にも恵まれたほんの一握りの者がようやく研究職を得られるというのが現状である。ずばぬけて才能ある学生ですら、運に恵まれないために消えていってしまうという例は全く珍しくない。研究者を目指す学生は、このような厳しい道を歩んで行く世界に身をおいていることをしっかりと認識し、決して受け身の研究をせず、自分の心の底から沸き上がってくる研究への欲求を糧にして、どのような困難な道にも立ち向かっていき、結果的に研究者になれなくても後悔しないと思いきって突き進まなければならない。そのような覚悟をもっていれば、たとえどのような形であれ結果は後からついてくるであろう。運のようなものは自分ではどうすることもできない。重要なのはひたすら努力することであり,努力しなければどのような道も開けない。血のにじむような努力によって運よく才能が開花すれば研究者への道が開けるかもしれないし、たとえできる限りの努力をしたからといっても研究者になれるとは限らない、そして、なれない場合の方が圧倒的に多いという現実をしっかり受け止めている必要がある。誰でも努力さえすれば研究者になれるというような甘い世界ではない。その上で人生の賭けをする。もし、当初の目標を達成できなかったとしても人生やり直しは効くし,たとえ結果的に遠回りであったとしても、それが自分の力を出しきった結果であれば、かえってかけがえのない経験となってその後の人生に活かされることになるだろう(事情通)
6/1(木)1:55