20 無名さん
小学4年時の担任に聞く、大谷翔平選手の少年時代 奥州・姉体小
https://www.iwate-np.co.jp/article/2024/11/23/174445
 −特に印象に残っているエピソードは。

 「学校公開で算数の授業をやったとき。(子どもたちから)思っていたような回答が出なくて、もう無理だなって思った時に答えてくれたのが翔平君だった。普段、手を挙げたりしない人が、その時、私を助けてくれたと思っている」

 「あとは、日本で野球をやる最後の年。翔平君を生で見られる最後の年になりそうってことで、同級生、お母さんたちと楽天(戦)に一緒に見に行こうってなった。翔平君は指名打者(DH)で、同級生はラインで『今みんなで見に来てる』『振り向け』『手を振れ』といろいろ言って、『無理』と返ってきた。でも帰りのバスに乗っているとき『みんなに今日は応援ありがとうって伝えて』って送ってくれた。無視することもできたのに、ライン1本送るっていう気遣いがうれしかった」

 「成人式のときも奥州に帰ってきて、普通に同級生たちと式に出た。こんなに有名になったけれど、翔平君は何も変わってなくて、私たちは少年野球の頃の翔平君とあまり変わりなく見ている」

 −得意だったのは。

 「バスケに、サッカーも上手。もう何をやらせてもそう。水泳は4種泳げていた」

 −校長になって、大谷選手の話をどう子どもたちにしているか。

 「普通の小学生だったよと話している。礼儀や、人とのつながりにはあいさつが大事という話、目標を持ってそれに向かえば夢はかなえられるという話をするときに翔平君の話をした。作文を見せて、『先生が担任をしたこの子はあいさつを大切にしていた』っていう話をして、『大谷翔平選手なんだけどね』っていう。その次の日はびっくりするくらい子どもたちがあいさつしてくれた。やっぱり影響力があると思った」