忠誠の菊池一族掲示板

過去ログ2 2010/4/27 13:26

▼菊池
茨城
祖先
現在の日常は、忙しく、多くの方は、祖先をおろそかにしています。しかし、祖先を知ることは、実は大切なことなのです。血脈を知り、祖先の成功や失敗から多くを学び、子孫に伝え、子孫はそれを繁栄につなげる。このように遺伝的形質の同じ祖先の生き様を知り、生活することは大切なことなのです。江嶋様も、祖先の姿を、子々孫々に伝えていただきたいと思います。
これからも、「忠誠の菊池一族」をどうぞよろしくお願いいたします。
2010/4/27 13:26

▼伊嶋
熊本
引き続き
「菊池肥後守武重之裔ト伝フ」は石碑に書かれています。おっしゃる通り菊池氏の分家ではなく全く他人じゃない、枝分かれした中の一つ、といった程度のものかもしれません。我が家には菊池氏と結びつくような遺物はないように思えますが、とりあえず本宅を尋ねてみようと思います。
御協力ありがとうございました。また新しい発見があればご報告いたします。
2010/4/26 22:30

▼菊池
茨城
寛永元年は、1624年ですが、、
「肥後守菊池武重の裔と伝う」とあるのは、何にあるのでしょうか?
石碑とか位牌に書かれているのでしょうか?
私には「、、、と、伝う。」と書かれていることが、少し遠慮勝ちで消極的な主張に感じられます。分流と言っても縁が遠いのでは、と考えます。何らかの形で、菊池家の血筋を受け継いでいるので、その証としてこの伝承を残したのでしょう。何の関係もなければ、これは残らないでしょう。私の調べた限りでは、伊嶋家と菊池家が直接的に結び付くような記録は見当たりませんので、やはり遠縁の関係なのかもしれません。
また、これから、伊嶋本家の家紋や遺物などの歴史情報によって、さらなる解明ができるものと思います。
2010/4/26 21:33

▼伊嶋
熊本
調査
早速の御返信ありがとうございます。
伊嶋家についてですが、文化年間に伊嶋家から養子を迎えており、従って現在は別姓です。男系の血統を辿ると伊嶋氏であり、11代前の伊嶋氏(寛永年間に没)のところに「菊池肥後守武重之裔ト伝フ」とあるだけです。
我が家は新宅でありますので、本宅ともコンタクトをとれば何か情報が掴めるかもしれません。
武重公の時代から寛永年間まで300年ほど間があり、支流の又支流で信憑性に欠けるかもしれませんが、伝承があるのは事実でありますのでこれからも暇を見つけて詳しく調べていこうと思います。
日本第一の勤皇である菊池氏の嫡流の方が現在もおられるのは実にありがたいことであります。日本人は先人たちが命をかけて守った国体を大事にしていきたいものです。
2010/4/26 16:38

▼菊池
茨城
伊嶋家について
はじめまして、「忠誠の菊池一族」管理人の菊池肇です。
どうぞよろしくお願いいたします。
ご質問の件ですが、菊池家の分流で伊嶋家が存在したのかどうか、、?、、、私には正直わかりません。しかし、伊嶋家にはそのように伝承されているのですから調べる価値は大いにあると思います。
参考資料として、伊嶋家の詳しい「伝承」や「家紋」、菊池家との縁を表す「遺物」などがあればお示しいただければありがたく存じます。
また、私も手持ちの文献等で調べて見ますので、もう少しお待ちください。
また、伊嶋家についての歴史情報をお持ちの方は「書き込み」をお願いいたします。
2010/4/26 14:34

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