忠誠の菊池一族掲示板

過去ログ23 2014/7/6 19:20

▼管理人
茨城
Re:じろうさん
Re:高千穂の甲斐です
甲斐氏のご子孫が、700年前の遺恨を乗り越えてご投稿されたことに、深く感激を致しました。厚く御礼を申し上げます。甲斐氏と言えば、あの有名な甲斐宗運のご子孫か、または他のご子孫筋にあたるのですか?とにかく、私的な印象としては、甲斐氏は下剋上の世にあっても、なかなか荒々しいDNAをお持ちだったと感じています。現在の世とは、あまりにも人としての感覚が違いすぎます。それほどまでに、すさまじく生きなければならなかった彼らに、心ならずも同情をしてしまいそうです。と、言っても我々子孫は、祖先の想いを理解して伝えながら冥福を祈ることが 肝要と考えています。家紋も我が家と同じなので、菊池家の家紋についての考察に何らかの意があるのかもしれません。
2014/7/6 19:20

▼じろう
宮崎
高千穂の甲斐です
はじめまして。興味深く拝見させていただきました。高千穂は甲斐姓が多く名前で呼び合っています。以前ルーツを調べた時に菊池藩の家督騒動に破れ30人程度か約30年甲斐の国へ逃れ、九州に戻ったことまでは分かっておりました。家紋は丸に違ひ鷹の羽です。武本の子孫であることを確信しました。
2014/7/6 11:17

▼管理人
茨城
情報がなければ、、、?
ご投稿有難うございます。
四国出身で、菊池姓の有名な人と言えば、作家の「菊池寛」が思い浮かびます。
しかし、彼について、肥後菊池家との関連がどうなのか、当方には良くわかりません。
このように血縁関係は、ご当家以外には、ほとんど知りえないものなのです。
現在、菊池家との血縁に関係なく、菊池姓を用いる家、鷹の羽紋を用いる家も多く見受けられます。姓や家紋だけでは、何ともお答えすることができないのが現実です。貴家に伝わる伝承など、あれば良いのがですが、、、、、。
2014/4/5 21:09

▼菊池
福岡
曾祖父の話
初めまして。菊池姓をもつものとして大変興味深くホームページを拝見しました。父の話によれば、曾祖父は四国の出身で大分や若松で商売を広げ戦前は、地元の名主だったそうです。 四国の八幡浜には、菊池姓が多いそうですが、肥後の菊池家との関係に関してあまり情報がありません。 そこらへん、何か御存じだったら教えてください。 家紋は丸に違い鷹の羽です。 (ちなみに母方は藤原姓で、家紋が同じように 丸に違い鷹の羽です。 菊池姓が藤原姓と遠い昔につながっていたことが分かって、ロマンを感じてしまいました。
2014/4/4 14:16

▼管理人
茨城
歴史は、推測かも、、、
ご投稿頂き、有難うございます。
おっしゃる通り、戦国の世は、武家一門であれば親子、兄弟が争うことは常でした。多くの武将の家系をたどれば、それを見ることができるでしょう。
また、「久々知」が菊池に発展したとの説については、別の系統の菊池姓として存在するもので、九州の菊池家とは、無縁だと思います。九州の菊池家は、「狗古智」(クコチと読み狗奴国の官狗古智比子が魏志倭人伝に登場する)、「鞠智」(クコチと読み古くは鞠智城があった)、「菊池」(キクチ)へと変化したのだと考えています。鞠は菊の古い書き方で古くは、クコと読んだそうです。その後、キクと読むようになり、初代則隆が居を構えた所に池があり、智を池に変えて菊池姓を名乗ったようです。
2014/3/8 21:25

▼庶流
埼玉
続きです
推測でしかないですが、敗戦で九州から追われた、戦で移動した一派がいたなどは考えられますね。故郷は死守したい思いがあってまた戻っていき菊池として史実に残った?など、想像します。愛媛県にも菊池さんは多くいらっしゃるようなので、武家によくある分裂や、源平のどちらに付いたかなど戦の事情で別れたケースもありそうですね。
2014/3/8 16:10

▼庶流
埼玉
麹智・久々智=菊池とすれば
『倭名類聚抄』の菊池の項に「久々知」とあってククチと読んでいた記録があるそうです。『新撰姓氏録』摂津皇別に「久々智。同上(阿倍朝臣同祖。大彦命之後也)」、発祥は摂津国河辺(かわべ)郡久久知、今の兵庫県尼崎市久々知にもある事になります。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/oni-megami/oni-megami-3-3.htm
こちらに詳しくありました。
2014/3/8 15:33

▼管理人
茨城
Re:いちごたろうさん
Re:初めて投稿します
有難うございます。
しかし、決して多くの有名人を輩出しているわけではないと思います。
私の知る限り、日本人なら誰でも知っている人と言えば、西郷隆盛公ただ一人かもしれません。
2013/7/24 21:05

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