忠誠の菊池一族掲示板

過去ログ27 2016/4/23 21:26

▼小柳
熊本
Re:管理人さん
ご丁寧にありがとうございます。
東福寺は先代の住職が亡くなって数十年経ち、今はその奥様(お婆ちゃん)の南さんが孫と共に守っておられますが何分九十近く耳も遠くその内にまえのように無人のお寺に戻るかも知れません。南さんは四十年以上前に由緒ある寺の東福寺が無人と聞いて急きょ南区の富合から来られました。来た当初は屋根が空いていて星が見えていたそうです、しかし、浄財を集め守って来られました。南さんのご先祖は名和伯耆守長年の末孫で提灯には後醍醐天皇より賜った帆掛船の家紋があります。
2016/4/23 21:26

▼管理人
茨城
早く地震が収束すること
皆様の生活再建、地域のインフラ再建は地震の収束なしにスタートできないと思われますので、早く地震が収まって欲しいものです。
現在、被災地で生活されている被災者の方々の、ご苦労も如何ばかりかと思われます。小柳様も地震の終わるまでは、お墓の事を気にせずとも、お体ご自愛くださるようお願い申し上げます。
また、当方の存在を総代の方にお伝えいただいたとのこと、厚く御礼を申しあげます。
総代様ならびに故菊池秀之先生、檀家の皆様にも祖先のお墓をお守りいただき、大変あり難く存じます。さて、菊池家の歴史もいろいろな解釈をされますが、少しずつでも真実に近づくことが出ればと思っています。
小柳様のおかげで、私も祖先の不都合な真実を知りました。
尚、檀家総代様にも宜しくお伝えくだされば有難く存じます。
2016/4/23 19:51

▼小柳
熊本
Re:管理人さん
今日、また菊池に行って来ました
武重公の奥方のお墓は倒れて無く、良かったです、そして総代さんに会ってどうされるのか、聞いたところ落ち着いたら倒れた墓石は専門家に頼んで元に戻すと言われました。資金は故菊池秀之先生が東福寺のために基金を設定されていたのでそれを使うそうです。それと菊池様の事を話しました、宜しくと言われてました。さて、話の続きですけど、乙阿迦丸と武士が争っていたとは到底考えられません、むしろ武士は弟いえ甥思いに感じられます、その後の武士の譲状がありますでしょう。また続きは後日に。
2016/4/22 22:36

▼管理人
茨城
だとすれば、不都合な真実て゜すね。
歴史は、真実かどうかを確かめる方法がありませんが、武士と乙阿迦丸の家督争いがあったと言うことでしょうか?
武光は、家督争いのあることを文書に残していますが。だれと家督争いの訴訟になっていたのでしょうか。私は嫡流家と家督争いをしていたように思っています。また、乙阿迦丸の起請文の一節には、「一、武重武士の家を継ぐの間、文武二道に於いて、仰いで正直の天命を守り、肖人の義に同ずべからず候。」とあります。
この起請文には、内談衆の承認を得たうえで嫡流家を継ぐと言う思いが反映されていると考えられます。
2016/4/22 19:41

▼小柳
熊本
続きです
実はその後武光は本来なら家督を継げなかったんですね。何故なら武光の母親は益城の豊野から城南町豊田辺りの武時の側室であったからです。それ程母親の身分の差によって立場が天と地位変わってきます。この頃は武光は全く権力も武力もないんです。だから心苦しいんですけど菊池様が言われる様な武重が武光に逐われる事はあり得ないんですね。また続き書き込みます。
2016/4/22 11:03

▼小柳
熊本
続きです
これがどういう事なのか?推測するとまだ乙阿迦丸は若く成人してないので差し当たり第一順位の乙阿迦丸に代わって第二順位の武士が惣領として一族を導いていこう、って事ではないでしょうか。では何故数多くの兄弟のなかで武士なのでしょうか?これは母親の身分の高さなんですね、母親の身分が低ければどんなに頑張っても惣領には家督は継げません。乙阿迦丸は武光であろうと言われてましたが全くの別人です。
2016/4/22 10:46

▼小柳
熊本
Re:管理人さん
おはようございます、菊池様
お気持ちだけで、念じて頂けるだけで、十分ですよ、あなた様の事は住職と総代さんに伝えておきます。さて続きです。武重が延元三年の筑後小清水山の戦いの後、消息途絶えてます、その前に置文(菊池家憲)を書いてます、それを受けて一族兄弟が数多くの起証文をだしてます。その中の1つに(興国三年)乙阿迦丸起証文があり、内容は(武重武士継ぐの間)とありますので武重亡き後すでに菊池家の家督を継いでいたんですね、しかし、その3日後武士が(天罰起証文の事)という起証文をだして惣領として一族重鎮にたいして一族の方向性を示唆してます。
2016/4/22 10:22

▼管理人
茨城
多くの情報を有難うございます。
お墓が荒れているのは、悲しいことです。しかし、祖先のお墓を、捨てて遠く離れた東国の地に逃げて隠れていたのですから、どうしようもありません。時間とともに、戦国時代の呪縛から解放され、地域に根を張り、日々の暮らしにおわれ、我が家は、やっと代をつないだのだと思います。私も小柳様からのご連絡がなければ、何も知らずにいたでしょう。お知らせを頂き本当に有難うございました。
修復の際には、お知らせをいただければありがたく存じます。
また、今まで、武士の詳しい生い立ちは知りませんでしたが、史実とすれば、それはそれで納得せざるを得ません。ご教示ありがたく存じます。
震災収束は先が見えませんが、小柳様を含め現地の皆様のご健勝を祈念しております。
2016/4/21 21:28

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