忠誠の菊池一族掲示板

過去ログ39 2017/5/6 22:00

▼名無し
岡山
初代菊池の末裔
図書館で先祖のこと調べたら堂上家でその中に皇族摂家も含まれていることを聞いて知りました。菊池とは関係ないんですが、菊池の末裔が表舞台に出ることはないと思うんですが(自分)一応、公・候・伯・子・男継いだということを報告しときたかったです。血がつながった末裔ですね。
2017/5/6 22:00

▼名無し
岡山
菊池初代←これ間違い。初代菊池の末裔
帝王学が菊池にはあるんですか?帝王学を今研究中です。
2017/4/11 17:21

▼名無し
岡山
菊池初代
菊池武重公のことも少しはかかれてますが、ほとんどが菊池→井芹で井芹の伝説ですね。
2017/4/10 19:48

▼名無し
岡山
Re:管理人さん
Re:情報がなければ、、、?
> ご投稿有難うございます。
> 四国出身で、菊池姓の有名な人と言えば、作家の「菊池寛」が思い浮かびます。
> しかし、彼について、肥後菊池家との関連がどうなのか、当方には良くわかりません。
> このように血縁関係は、ご当家以外には、ほとんど知りえないものなのです。
> 現在、菊池家との血縁に関係なく、菊池姓を用いる家、鷹の羽紋を用いる家も多く見受けられます。姓や家紋だけでは、何ともお答えすることができないのが現実です。貴家に伝わる伝承など、あれば良いのがですが、、、、、。
2017/4/10 19:38

▼小柳
熊本
Re:菊池さん
割り込みすみません、熊本菊池から
菊池一族の菩提寺東福寺から小柳です。そうですね、あなた様の書き込みから推定すると菊池一族の揃い鷹(ソロイダカ)の変形と思われます、菊池一族の分家でしょう、元々菊池一族の揃い鷹は阿蘇家の違い鷹(チガイダカ)から頂いたものです。菊池一族は南北朝時代末期から全国に散って行きました、特に関東東北に根ずいて今に至ってます。但し、時代は下り江戸時代に入ると各大名達はこぞって鷹の羽は勇猛果敢であると言う事で好んで自分の家紋にしていったのですね、あの忠臣蔵で有名な浅野家は違い鷹の羽がシ―ンに出てきますよね。元々鷹の羽は違い鷹は阿蘇家、揃い鷹は菊池家だけなんですけどね、違い鷹の菊池一族もあるそうです。従って阿蘇一族、菊池一族でない人もその家紋を使用している場合もありえます。
2017/1/17 1:26

▼名無し
岡山
同じ→並び鷹の羽かも(初代菊池末裔)
肥後国出身。菊池氏の第15代当主。後醍醐天皇の皇子・懐良親王を擁して九州における南朝勢力として征西府の拡大に努める。一色、少弐、両者を倒して九州における南朝勢力の隆盛を確立した。家紋は並び鷹の羽。画像は「古事類苑」にある菊池家の旗印。
2016/12/31 17:51

▼菊池
北海道
年越し前に我が家のルーツ
はじめまして
今日初めて我が家のルーツの資料を見ました

スマホで色々検索して、このページを見つけ
書き込みしています

家の家紋は、
割引だかニ 双だか
と言うみたいです
鷹の羽が縦に並んで二つ
そのしたに、半分の羽が横になってる家紋です

佐渡の本行寺で資料を貰ったそうです

でも、肥後の国ってことは
全然関係ないのかも知れませんね
2016/12/30 23:29

▼管理人
茨城
菊水紋について
ご投稿有難うございます。
ご承知の通り、菊水紋は、楠正成公が後醍醐天皇より賜ったものです。
また、菊池家と楠正成公との濃密な接点は、菊池家の九州探題討ち入り後からになります。そして、探題討ち入り後の菊池家の窮地を救ったのも楠正成公でした。
楠家は菊池家の大恩人ですから、菊水紋を用いることになったのかもしれませんし、菊があしらわれているので用いたのかもしれません。我が家で菊水紋は、菊池武重の子孫の証になるものとして替えの紋に用いています。
2016/12/1 17:01

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