忠誠の菊池一族掲示板

過去ログ6 2011/2/24 15:03

▼小柳
熊本
続きです
大袈裟ではなくて、と言っても過言ではないが正解です。刀伊の入寇、蒙古襲来、南北朝の動乱、幕末の動乱と武家とは違って余り利益のない利益目的ではない戦いをしてきた誇り高き菊池氏、素晴らしいですよね!
2011/2/24 15:03

▼小柳
熊本
こんにちは、小柳です暖かくなりま
私が何故菊池氏を好きというより、尊敬いえ崇拝の域に達しているかといいますと菊池氏の戦いぶりは、武家同士の戦いには関与しないというか、お前たちだけ勝手にやとけ!っていう感じが好きなんです。元寇の時は菊池武房は僅か二、三百騎で迫り来る蒙古の大軍を粉砕し追い落とし、それによって蒙古の進軍を食い止める事ができ、さらに台風?大風によって蒙古軍が壊滅したのはご存知の通りです。連戦連勝の蒙古軍もまさか日本に菊池軍のようなばか強い武士団がいるとは思いもよらなかっただろうし、さぞ度肝を抜かれたと思います。大袈裟にいうと菊池武房一族のおかげで日本が救われた、こういう事実が余り世に知られていないのが残念です。まだ続きあります、また投稿します。
2011/2/24 13:01

▼管理人
茨城
小柳様、何度でも書いてください
武重や乙阿迦丸の消息を含めて、歴史的解明が待たれるところですが、今回の小柳様の見解は、あながち推測と言うよりも的を得ているのかも知れません。武重の跡を同腹の末弟武士が継ぎ、その跡を「乙阿迦丸が継ぐ」と解釈できる文書がありますので、乙阿迦丸が武重の子と考えれば自然であり納得がいきます。(この想いはかなわず、武重の異母弟武光によって排されたようですが、、。)
また、テレビの件は、フィクションですから作者の考え方でもありますが、一族の者としては、小柳様のお考えに賛同する方が多いように思います。さらに、西郷隆盛は一族の誇りであり、菊池家の縁者の中では、国家に対しての最大の功労者だと思います。そして、その行動の根底に、菊池の血脈を彷彿とさせる正義があります。
2011/2/18 17:42

▼小柳
熊本
(小柳)続きです何度もすみません
この間のテレビの菊池一族殺人事件において菊池一族は合戦に負けて日本国中散っていったと言うのはいけませんよね!南朝の衰退と同時にいつの日か南朝再興を目指して各地へ落ち延びて行った、というのが正しい表現と思います。それを実行したのが菊池家の分家である西郷隆盛です。西郷は西南の役で亡くなったけど半ば自分の夢を達成できたのであるからほぼ満足であったと思います。また連絡します。
2011/2/18 14:25

▼小柳
熊本
(小柳)続きです
武隆公が武重公の子とは考えにくいのですが、乙阿加丸ならば武重公の子と十分にありえます。元々武光公と乙阿加丸は同一人物ではないかとの説がありましたが、もしあなた様が乙阿加丸の末孫で加えて乙阿加丸が武重公の子であるならば謎が解けたような気がします。武隆公の墓は認定されてませんが菊池の赤星の河畔にあります。すみませんが、私はパソコン持ってないんでこれからは携帯でメール送れるようにしてまいりたいと思います。まだ沢山お話したいことありますので。番号は090−8620−7513です。
2011/2/18 13:20

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