忠誠の菊池一族掲示板

過去ログ12 2011/8/30 4:53

▼菊池
茨城
小柳様は菊池家を買いかぶりすぎ
ご意見の相違は当然です。大いに異論を展開してください。失礼だとは思いますが、異論に絶えられなければ、その時は削除するか、無視するか、対策をとるかもしれませんが(笑)今は大丈夫です。さて、小柳様のご意見、菊池家に家督をめぐる争いはなかったとのことですが、私は、嫡流家を廃して庶流家が入ることは、いかなることがあろうとも、それは下剋上と考えるからです。それでは、多くの菊池一族が、なぜ、東国に来たのか?武重は、なぜ、消息不明なのか?武重が国で没したのであれば、なぜ、大智禅師の聖護寺に墓がないのか?なぜ、武光は嫡流の武士を廃したのか?などの説明ができません。もちろん、乙迦丸の起請文についても説明できません。また、嫡流家を含む菊池家縁者が肥後から出なければならなかった理由についても説明できません。庶流は肥後に留まり嫡流は肥後を出て東国にいることについてもどう解釈していいのか見当がつきません。
ご教示いただければ幸甚です。
2011/8/30 4:53

▼小柳
熊本
Re:菊池さん
こんばんは、小柳です。
これからは、菊池様のお怒りを買うことになるかも知れません。お察しの通り武重と武光の関係が菊池様と異なるからです。結論からいくと武重とまだ若い武光と争った形跡はなくましてやずっと下の弟の武光に追われるような愚かでこまかい人間では無かったです。何故なら証拠となるその様な文書も言い伝えも残って無いので。乙阿伽丸が武光に排斥されたと言うことは考えられない事はないのですが、文書として残っているのは十郎武光と与一武隆の争いだけです。数通の又次郎武士と僅か一通の乙阿伽丸の起請文だけで当時の武重無き後の惣領の移り変わり状況のほとんどが推定できます。これは後で詳しく私なりの解釈で述べます。南北朝時代より約130年前の平家の時代と同じ様な感じがします。平清盛は好色家で子が重盛を筆頭に数人?いやもっとおりました。清盛も立派な政治家でしたが、長兄の平重盛は中々の人格者で弟達を良くまとめあげ平家の世は皆仲良くしてました。それを好戦的な源氏が壊してしまいました。長兄の武重も弟思いの立派な兄だったように感じられます。武光や武隆以下活躍した時期も異なりますし年齢も住んでいる場所も離れてます。年に一度だけ正月位に会っていた位ではないでしょうか。
2011/8/29 23:37

▼菊池
茨城
ご理解、有難うございます。
菊池家に血縁のない貴殿に、菊池家本来の魂をご理解賜り、大変有り難く、嬉しく存じます。菊池家のすべての者が、同じような行動をしていたわけでもなく、恥ずかしい限りなのですが、少なくとも嫡流家まではそうであったのだろうと考えています。十三代武重は、菊池家憲「内団衆のこと」の最後に「家門正方と共に龍華の暁に及ばんことを年願すべし、謹んで八幡大菩薩の明照を仰ぎ奉る」と書いて、菊池家の魂を表現しています。この時すでに、戒めとしてこの言葉が必要な状況になっていたことを表すものだと思います。自己の利益のためなら「下剋上もやむなし。」と言うような当時の時代背景があったのだと思いますが、、。
2011/8/27 4:30

▼こんばんは、菊池様、小柳です。
熊本
Re:管理人さん
そうです同感です!
私もそう思います!武房は恩賞目当てで一族上げて命をかけて戦ったとは思えません。当時はほとんどの者が恩賞目当て、良い例がこの蒙古襲来絵詞を画いた竹崎季長は鎌倉まで交渉に行ってますよね。今の時代も利益目的で動くのが当たり前なんですけど、武房にはそれが感じられない。徳川美術館に一通だけ北条時宗の叔父の政村宛に菊池武房書状が残ってますけど、内容は病気見舞いであって恩賞目当てで接近した訳でもなんでもありません。でも反って幕府は菊池一族に配慮して、有隆に僅かながら土地を与えてます。蒙古に勝ったとはいえなんの土地も取っていなくて幕府は四苦八苦していたはずなのに。これなんですよね!菊池一族は義によってではないと戦わない、これが菊池一族なんだ!と言うことを日本中の皆に知ってもらいたいんです。私はいつか大河ドラマで菊池一族を見てみたいです。材料は余りあるほど揃ってます。有名な作家も書いてます、そう北方謙三の武王の門。
2011/8/26 21:12

▼管理人
茨城
古きことゆえ
彼女たちが、遺伝子を受け継いでいるのかどうか、私には定かではありません。「なんとなく、似ている。」と言う程度ですが、、。小柳様には、たびたび、興味ある話題をご提供いただき、大いに感謝申し上げます。さて、「文永の役後のわずかな恩賞に、菊池武房の心情がどう変化したのか?」古きことゆえ、私には見当もつきませんが、武房には、「恩賞の多寡で国家の存亡をかけた文永の役に参戦したのではない。」との思いがあったのだろうと思います。また、恩賞ではなく「無事に武士としての務めを果たせた。」と言う安堵感も強くあったのだろうと思います。これが私の感覚であり、これは本来の菊池家の精神(菊池魂)であろうと思います。ですから、武房がこの後にすぐに、反幕府に傾くこともなかったろうと思います。
2011/8/26 5:06

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