忠誠の菊池一族掲示板

過去ログ7 2011/3/14 13:32

▼管理人
茨城
小柳様、お見舞いありがとう
ご心配をおかけしましたが、地震の被害は軽微にすみました。我が家は、食器棚の皿や茶碗が落ちたり、モルタルのひび割れがあった程度でした。隣家では、棟が折れて瓦が砕け落ちたところもあります。私は、巨大地震に遭遇した感が強くありますが、余震がいつまで続くのか?いつになったら元の生活に戻れるのかなど、平穏な暮らしが待ち遠しくも思います。11日の2時過ぎ地震から、13日になって電力が供給され、本日14日12時に電話が使えるようになりました。しかし、まだ、水道は復旧されておらず、ガソリンスタンドやスーパーの営業もほとんどなく、ガソリンや食料品も心配です。しかし、東北の惨状は筆舌に尽くすことができません。犠牲になった方のご冥福をお祈りし、一刻も早い復旧と安心で安全な暮らしを願ってやみません。
小柳様ありがとうございました。
2011/3/14 13:32

▼小柳
熊本
菊池様、小柳です
地震、津波大丈夫ですか?心配してます。
2011/3/11 23:39

▼管理人
茨城
七百数十年も昔のことですから、、
あまり誉められるのも、恥ずかしいですね。小柳様のおっしゃる菊池家の歴史が何らかの形で残っていたとしても、ずいぶん昔のことですから、真実の歴史がどのようになっていたのか、今となっては知る由もないでしょう。しかし、それらが物語や歌として美化され脚色され、後世に菊池家の歴史として残ったのは、あるいは事実かも知れません。子孫として、家の歴史をそれほど良く知っているわけではありませんので、何ともいえませんが、、。
2011/2/25 21:45

▼小柳
熊本
菊池様、こんにちは
いえ、誉めすぎではないですよ!あの蒙古の大軍が西区より上陸して中央区まで進撃して来た時、菊池武房が脇目もふらず蒙古軍に突入し蹴散らし押し戻す事が出来なかったら、もしかして一気に大宰府を占領され歴史はどう変わってたか分からなかったと思います。少弐も大友も島津も散々負けて敗走し残された博多の人は逃げ惑い余りにもその不甲斐なさに少弐や大友を揶揄した歌も残されてるではないですか。「臆病をいかに少弐の入道が恥をかくえの〜」「大友は落ちつ〜」それに対して菊池武房は人々に賞賛され歌にまでうたわれたと言われてます(もう残ってませんけど)。武功第一は菊池武房であったのは当時の誰しもが認めています。だからそれを竹崎季長が蒙古襲来絵詞に残しているんですね、弘安の役では絵詞の大きくスペースを割いて西区の生きの松原の石築地の上に陣取ってる武房以下菊池六集団が描かれてます。扇を広げて堂々とした姿、顔。しかし武房には幕府からなんの恩賞もなく代わりに朝廷から甲冑を賜ったのみでした。これが変なんですよね?これからが本番なんですけど他人のPCで送ってますのでしばらくはお休みします。また携帯かネットカフェからメールおくります。
2011/2/25 11:00

▼管理人
茨城
小柳様、ありがとうございます
こちら(常陸の国)も急にあたたかくなり春めいてきました。小柳様の見解は、一族にとっては、大変有り難いことなのですが、少々、誉めすぎだと思います。私は一族の行動の基には、正義があったように感じています。その結果として、利益を度外視した行動にも走ったのであり、幸いにも運よく目的を達成できのだと思います。家門正方(菊池一族が正しい行動をすること)の考えは、現在まで伝わり、その結果として我々子孫も無事に過ごせたのだと思います。小柳様のように、菊池家の行動を理解してくださる方がいて、祖先もあの世で喜んでいるかも知れません。もちろん、私も嬉しいです。
2011/2/24 16:12

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